AdoがK-POPを中心とするイベント「INKIGAYO LIVE in TOKYO」の2日目に大トリで出演し、演出や選曲をめぐって議論が起きています。記事は、顔を見せないステージや「おどるポンポコリン」の披露に加え、観客が期待した公演内容とのずれを論じています。所属事務所の社長は出演の最終判断は自分だと説明しました。
「出演の最終判断をしたのは私です」
「そもそもイベント公式サイトには、『世界を熱狂させるK-POPアーティストがベルーナドームに集結』とのキャッチフレーズがおどっていた」
出典:Adoが“K-POPの祭典”大トリで炎上、檻の中から「おどるポンポコリン」が批判を浴びた本当の理由…「顔出しNG」は続けられるか(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース
Adoの顔出しを賛否の中心に据えると、今回の問題は少しぼやけます。素顔を見せずに歌うのは以前からの活動スタイルで、そこを変えるかどうかは本人の領域です。一方、K-POPを前面に出した催しで誰を最後に置き、どんな演出で締めくくるかは、観客の期待を設計する主催側と出演を決めた側の仕事でしょう。
記事には2日目に出演者全員のフィナーレがなかったともありますが、その理由をAdoだけに帰す根拠は示されていません。高いチケットを買った人が内容に注文を付けることと、歌手の容姿や人格を攻撃することは別です。次に必要なのは「顔を出せ」という短絡的な要求より、公演の主題と出演者の持ち味をどう両立させ、観客に何を約束するのかを企画側が明確にすることだと思います。

